いつからカナダに住んでいますか?いらっしゃった理由を教えてください。
1999年7月、英語がゼロの状態で英語を勉強しにビクトリアに初めて行きました。
父親がアルコール中毒で暴力をふるう人だったのですが、高校2年生のクリスマスに母と一緒に命からがら逃げました。離婚調停中は高校に行くことが出来ず、自主退学をせざるをえなくなってしまいました。母と二人の生活だったので、手に職をつけようと見習いで美容師になろうとしたのですが、肌が弱く腕がただれてしまい、その道も閉ざされてしまいました。定時制の高校に行きつつ、アルバイトをして働いていた19歳のとき、父が交通事故で亡くなり少しお金を受け取りました。自分の学歴や夢を諦めた状態で過ごしていたのですが、そのお金を衣類などに使いたくなかったのでどうしようか考えて、それなら海外に行ってみようと軽い気持ちで行ってみることにしました。カナダを選んだのは、スノーボードが出来るからです。
始めは2か月の予定だったのですが、カナダにはまってしまい、観光ビザから学生ビザに変え滞在を延長しました。その後、資金を貯めるために一度日本に戻り、ワーキングホリデーで戻ってきました。

ビクトリアの好きな所を教えてください。
人々がとてもフレンドリーです。バンクーバーはなんでも日本の物やサービスが揃って便利だったのですが、ここまで便利じゃなくても良いのではないのかなと思ったことがあったんです。ビクトリアでも、美味しい日本食レストランがあるし、食材も買える所もあるし、大きすぎず都会すぎず、海が近くて好きです。
初めてビクトリアに行った時に、カナダに住みたいと思った理由を教えてください。
楽しすぎたんだと思います。子供の頃にたくさん辛い思いをしてきて、高校にもまともに行けず育ってきたので、大人になってここへ来て解放された気がしました。こんな私でも受け入れてくれるんだなと。日本では金髪にしていたりピアスをたくさん開けたり、いつも人と違う感じでいたので、職にはつかずフリーターでふらふらしていました。周りから受け入れられていると思えず辛い感じがしていました。
日本だと障がい者でない人達が障がい者用パーキングを使用していたり、電車では若い人たちが優先席に座っていたりしますよね。カナダに来た時に若い人たちが自然に席を譲っている姿を見て、普通にそれが出来る環境ってすごいなと思ったし、子供が出来たらここで育てたいなと思ったんです。

ワーキングホリデー後、カレッジに進学した理由を教えてください。
スキルも何も持っておらず進む道に迷っていた時に聴覚障がいの同僚と出会い、自分の夢、やりたいことが見つかりました。
ワーホリで戻ってきたときには英語を使って仕事をしたいと思い、アルバータ州のフォートレスマウンテンで働いていました。そこに聴覚障がいのある同僚がいました。その子が彼氏と手話で遠隔で話しているのを見て、「うわっ!かっこいいなー」と衝撃を受けました。
同僚に手話を少し教えてもらうようになり、簡単な手話で会話をしたときに私はこの道に行きたいと思いました。初めて手話で会話をしたときに鳥肌がたち「これだ!」と思ったんです。
アルバータ州でメディシン・ハットカレッジに行っていた日本人のお友達に相談したところ、手話のコースがあることを教えてくれました。カレッジのESLに1年通った後、そのままIntervenorプログラムを取りました。
Intervenorとはどのようなお仕事なのですか。
Intervenorという職種はカナダでもかなり特殊な職業です。ヘレンケラーの家庭教師アン・サリバン先生がintervenorです。手文字や手話、いろいろなコミュニケーション手法で視覚障がいや聴覚障がいのある方たちと社会を繋げていくお仕事です。
今、点字翻訳者をしています。カナダ人でもこの職業について知っている人は多くありません。みんな私が点字を指で読めると思うのですが、私は指では読めません。目が見えるので点字を目で読みます。
カレッジに入学してみてどうでしたか。
もともと手話がしたくてカレッジに入ったのですが、どうせならと2年間のintervenorのプログラムを選択しました。入学した当初はintervenorがどういう仕事なのかも十分理解していなかったのですが、カレッジでは手話や点字、色んなコミュニケーション法を習いました。
ESLを終わらせれば入れるので入学することは大変ではなかったのですが、日本人は私一人で、他に留学生もいないプログラムだったので紙が真っ黒になるくらい書いて書いて丸暗記をして勉強しました。
母子家庭だったので、金銭的に母に負担をかけられないと思っていました。当時、カレッジ内でなければ働けなかったので、校内の図書館、カフェテリア、購買、パブの仕事を掛け持ちし、仕事の合間に勉強をし、家に帰ってシャワーを浴びて、また学校に戻ってくるという生活をしていました。先生たちもあちこちで働く私のことをよく見かけるので知っていてくれたようです。
2年生になった時、留学生は学費を一括払いでないといけないため学業を続けることが厳しくなり、日本に帰らないといけない状況になってしまいました。残念だけれどここにもういられないと泣きながら講師に話しをしたところ、講師がプログラムコーディネータ―に話しをしてくれ、講師、プログラムコーディネーター、校長先生、そして私の4人でミーティングをする機会を作ってくれました。プログラムで上位の成績を取るほど勉強を頑張っていたし、仕事も掛け持ちして頑張っているのを先生たちが見ていてくれたので特別に分割払いを許可していただきました。また、成績トップだったので2年生に上がった際に少し奨学金もいただけました。
規定が変更され校外でも働けることになったので、24時間シフトのグループホームで週末働き、コンビニでも夜中に働いて学費と生活費を工面しました。宿題もあったので毎日3時間程の睡眠で、今思うとどうやってやっていたのかなと思います。
2年間のプログラムを終え、2007年に無事卒業し、母も卒業式に来てくれました。
卒業後について教えてください。
カレッジ卒業後は、2年間のワークビザが出るので、バンクーバーで視聴覚障がいの方たちのグループホームでintervenorとして働き始めました。intervenorは一対一でクライエントさんを持つのですが、私が受け持った方は視聴覚障がいの他、自閉症と強迫性障がいを持つ男性の方でした。身体は小さかったけれど力が強いので、対応が難しく、腕に青あざができることもありましたが、それでも移民の申請のためのスポンサーになってもらっていたので辞められなかったのが辛かったです。
移民が取れたあとは、カルガリーの小学校で点字翻訳を半年、その後アルバータ州教育省の点字部署に仕事が決まったのでエドモントンに移り3年働きました。

現在のお仕事について教えてください。
最初にビクトリアに来たときからビクトリアが好きで、履歴書をビクトリアに送っていたところ、今の生徒さんの点字翻訳者として採用され移住しました。私の生徒が幼稚園のときからサポートしていて、9月から高校に入ったので今は高校で働いています。
政府で働いていた方が給与、福利厚生面などでは良かったのですが、ビクトリアに住みたかったので転職しました。ビクトリアは住居費も高いし、給与も高いわけではないので、引っ越してすぐは週末はレストランで仕事をしていました。学校は、夏休みの間には仕事が無いので、以前の仕事場からコントラクトで仕事を頂いたりしていました。

点字翻訳をキャリアに選んだ理由を教えてください。
結局、手話の道には進みませんでした。手話通訳は英語が100%分かっていないとなれないなと思ったからです。手話は、英語と文法が違います。医療の現場など命がかかわる場面でそれを手話で通訳出来るのかと考えたときに不安で自信が持てなかったのが理由です。
カレッジ在学中から、点字が他の人よりも出来たという事もあり、先生から点字の方に進むことを勧められました。点字のルールというのはたくさんあるのですが、英語が分かる人たちは深く考えてしまうようです。私にとって英語は母国語ではないため、単純にルールに従って点字を打つので出来たのかなと思っています。点字は点の組み合わせで文字や記号になっていますが、打つのが楽しくて早く打てると暗号を打っているような感じがして楽しいです。英語が100%完璧に出来るわけではないので、他のクラスメイトに比べて就職に不利だなと思い、自分で勉強をしてCNIBというカナダ全体で使える点字の資格を取りました。点字の翻訳をするにはその資格が必要です。
点字翻訳者はどのようなお仕事をするのですか
教科書やプリントなどを点訳します。
教科書1冊300ページの本が点字になると80ページぐらいの点訳された本が30冊以上になります。点字はサイズが決まっているので、文字のサイズを変えることができません。グラフや図形などもあるのでページ数が増えるんです。例えば、地図。一つの地図に国名、町、川、山などの情報が載っていますよね。視覚障害の方にとって、その1ページに全ての情報が入っている地図だと理解できません。地図の情報を分けるので、通常1枚の地図が5~6ページになります。
小説など文字だけであったらPDFファイルからワードファイルに変え、点字ソフトに入れると自動変換することが出来ます。それで終了ではなくプルーフリーディングは必要ですが、そこまで時間はかかりません。数学や物理などになると文字だけでは収まらなくなってくるので、グラフや絵は文字で説明しなければいけません。テストを点訳することもあります。社会科のテストで人物の写真などを出して問う質問などありますよね。写真から見て、性別、服装、時代、背景を説明して答えを導き出せるようにしなくてはいけません。フランス語も点訳しなければいけません。全くフランス語が分からないのでGoogle翻訳で全て意味を調べてから問題の意味を理解し、点訳をやっていきます。単語も分からないので一文字一文字チェックするので時間がとてもかかります。先生によっては点字ソフトですぐに変換できると思っている方がたまにいらっしゃるので、5分後に必要ですと渡されたりするのですがそれは出来ないんです。

何をするのが好きですか。
倒立が好きです。とにかく楽しいです。逆さになると頭がすっきりするし、年齢を重ねるにつれて下がってきた臓器が元の位置に戻ってアンチエイジングにもなるので暇を見つけては逆さになっています。ヨガと倒立のコンボで体幹が強くなったし、インナーマッスルがつきました。
倒立を始めたきっかけを教えてください。
ヨガのクラスに行ったときに隣の人が倒立をしていたんです。それを見てかっこいい!と思い、話しを伺ったらヨガの先生だったんです。その先生のヨガクラスに通っているうちに倒立を極めたいと思うようになりました。ビクトリアにもサーカスのスタジオが出来るという話しを聞いて、そこで倒立を習うようになりました。5年ほどトレーニングを受け、去年の9月からそのスタジオで倒立初心者に教えるようにもなりました。夏の間は、日本人の方々にオンラインの倒立レッスンをしたりもしています。
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カナダにきて一番辛かったことは?そこから何を学びましたか?
カレッジの時です。5つの仕事を掛け持ちしていた上に、奨学金を得るためにトップにならないといけなかったので、寝る間も削って過ごしており体力的にきつかったです。でも、それをしたから、奨学金ももらえて、分割で払うことが許可され、卒業して、今のお仕事が出来ています。あの時の頑張りがなかったら今は無いです。

今後やりたいなと思っていることはありますか。
最近なのですが、11月から茶道を始めました。まだ4、5回しか受けていないのですがとても楽しく、お稽古のたびに茶道の深さを知ります。初めてレッスンを受けた時に、その動きは無駄なのではと思ったことも、先生が理由を説明してくれると理にかなっていて納得します。茶道の一つ一つの動きに意味があり、日本の文化そのものであることに気づきました。
どういった部分に日本の文化を感じますか。
茶道の所作を見ていて、日本人が臨機応変に動ける人が多いことに納得がいきました。日本人の人っていくつかの仕事を同時進行させていって同時に終わらせることが出来ますよね。国民柄。前から何でなんだろうと不思議に思っていたのですが、茶道を習って一つ一つの動作に意味があり、その部屋にいるすべての人に敬意を表し、全ての動きが繋がるのを見て、こういう文化が昔からあったからこそ、こういう国民性になったのかなと思いました。これを極めたら何かが見えてくるのではないのかなと思っています。
茶道をしてみようと思った理由を教えてください。
夫はセルビア人なのですが、日本に興味があり日本語の勉強をしています。その夫が、ある日突然三味線を習い始めたんです。インスタでは、夫の三味線とコラボしているので是非見てみてください。初めは楽譜すら読めなかったのですが、凄く練習してかなり上手になっています。元々、剣道や柔道をしていた人だったので、私よりも日本の礼儀をよく知っているのです。それを見て、礼儀をしっかり知らない自分のことを恥ずかしく思いました。20歳から海外にいて敬語もまともに話せなかったのです。茶道を習うようになってから、先生の話し方を聞いてきちんと話せるようにならないといけないなと勉強中です。茶道を始めてから、日本人で良かったなと日本人としての誇りを持って生きていきたいと更に思うようになりました。

Mikaさんのモットーを教えてください。

強い心です。左手首にタトゥーを入れています。自分の命を粗末にし、自傷行為を繰り返していたことがあります。今も残るその傷を見るたびに暗い気持ちになっていたのでその上にタトゥーを入れました。強い心を持って生きていく、その思いで「強心」と入れました。このタトゥーを見るたびに”しっかりしなきゃ!”とすごく助けられてきました。
最近、右手首に「生きろ」と入れました。左腕には夫婦鯉のタトゥーがあります。倒立をしたときに登り鯉に見えるようになっていて、大きい鯉が夫で小さい方が私です。どんな荒波が来ても二人で乗り越えていこうねという意味があります。
他にもたくさんのタトゥーを入れているのですが、全てに意味を持っています。日本ではなかなか理解してもらえず、カフェに行ったときに入店拒否されたこともあります。日本で生活することは難しいことはわかっています。
日本で母と一緒にいる時は母に迷惑がかからないように隠すようにしていますが、20歳の時にタトゥーを入れた時には大反対した母も、今では隠さないで良いよと言ってくれます。カレッジを卒業し、点字翻訳者としてカナダで働く私を見て、母は”私はあなたを誇りに思っている”と言ってくれています。
最後に、これから何かに挑戦しようとしている方にメッセージをお願いします。
努力は裏切らない。勉強にしても、習い事にしても、趣味にしても、人生においても、自分の進みたい方向に向けて努力をすることが大切だと思います。時にはうまくいかない時もあるし、何かが邪魔をすることもある。でも、自分の行きたい方向を向いていれば、遠回りをしてもたどり着くことができると信じています。

編集者より
子供のころ辛い経験をされ、大人になってカナダに来たことをきっかけに徐々に自分自身を取り戻していったMikaさんのこれまでの道のりに胸を打たれました。興味を持ったこと、やりたいと思ったことはとことん極めていくMikaさんの姿勢に触発されて、私自身も色々なことに挑戦してみようという気持ちになりました。今度は、日本の伝統文化、茶道を極めていく中でどんなことが見えるのか、お話しを聞かせてもらうのを楽しみにしています。
I was touched by Mika’s journey so far, as she had a painful experience as a child and gradually regained herself after coming to Canada as an adult. I was inspired by Mika’s attitude of going all the way to the end of what she was interested in and wanted to do, and it made me want to try many things myself. I am looking forward to hearing what she sees when she masters the tea ceremony.