いつからカナダに住んでいますか?来た理由を教えてください。
日本の大学を卒業後、2001年にトロント大学で修士を取るために初めてカナダに来ました。言語教育、言語政策に元々興味があり、カナダで発展している分野だったのでカナダの大学を選びました。
言語教育、言語政策に興味を持った経緯を教えてください。
4歳から8歳までオーストラリアに住んでいました。姉と兄は当時9歳、11歳。上の二人は始めは言葉に苦労し、英語の家庭教師などもつけて必死に頑張っていました。しかし日本に帰国する頃にはネイティブのように英語を話し、学校の成績も優秀でした。一方で、私の場合、日本語での読み書きがまだままならない年齢でした。末っ子でまだ幼かったこともあり、特に家庭教師など付けずとも、自然に英語が身につくだろうと両親も思ったのか、イェスとノーしか知らない英語力で現地の幼稚園に通い始めました。もちろん住んでいる間に英語は話せるようにはなり、当時のビデオを見るとペラペラ話していますが、実は学校の先生の言っていることなどはしっかりと理解が出来ていなかったのを覚えています。4年間住んで、なんだか最後までふわふわとしていた感覚がありました。

兄と姉は、日本に帰国後、帰国子女がまだ珍しかった時代だったこともあり、日本の学校文化になかなか馴染めないなどの苦労はありましたが、オーストラリアにいる間も日本語の読み書きもそれなり維持していたため、日本の授業にもすぐに付いていけるようになりました。そして、英語力を維持することができました。一方で私は日本語の会話は苦手、読み書きは更に苦手という状態で帰国しました。日本の環境に慣れるのに必死で、気づいた時にはあっという間に英語を忘れてしまいました。これは後に中学で英語の授業が始まると取り戻すことができたのですが。ただ、日本語の日常会話に問題がなくなっても、なんかずっと世界がぼやけている感覚がありました。勉強もわかったようなわからないような感覚。ところが帰国後6、7年ほど経ってから、突然パッと霧が晴れ、授業で先生が言っていることがよく分かるようになり、苦手だった科目も含め、勉強が大好きになりました。

大学進学後、バイリンガル教育と言語政策という分野に出会い、そこで子どもにとって母語がとても大切だということを学びました。私の場合、母語である日本語がまだ不完全なうちにオーストラリアに行ったので、英語で日常会話は話せるのにきちんとアカデミックな内容を理解できていなかったこと、そして日本に帰国後、日本語が話せても学校の授業についていけるようになるまで何年もかかった理由を理解しました。更に言葉だけでなく、自分のヘリテージ文化に誇りを持つように育てることが第二言語の伸びにも繋がるのだということを学びました。
トロント大学に留学
昔は、私のような家庭のケースでは、家の中で母語を話さず、英語を話すことを推奨されていました。しかし、それは間違いで、母語力が上がれば上がるほど英語力(あるいは第二言語能力)も上がるのだという研究が出てきているのを知りました。そこをもっと掘り下げて勉強したいと調べたところ、バイリンガル教育の権威のJim Cummins教授がトロント大学にいることを知りました。
ラッキーなことにカナダ政府の奨学生として、トロント大学の修士課程に留学することになりました。カナダはバイリンガル政策を取っているので、大きな期待を持ってトロントに渡りました。しかし実際にトロントに住んでみると、想像とは異なり人種差別もあるし、あまり人の温かみを感じることができませんでした。チャイニーズカナダディアンの友達はすぐにできましたが、いわゆる白人のカナダ人の友達はなかなか出来なかったし、多文化主義とはいえ、英語をアクセントなく話す白人がヒエラルキーの頂点にある社会なのだということをひしひしと感じました。
救ってくれたバイオリン
幼いころから習っていたバイオリンが、オーストラリアに行った時も、日本に帰国したときも居場所ができて心の支えになりました。トロントにいたときも、オケにはいったことで辛いトロント生活もどうにか乗り越えられました。(https://suzukiassociation.org/news/minijournal/2021/)

そのことについては、こちらで詳しくお話ししています。

修士課程修了後
日本に帰国後は、学会運営関係の仕事に就いたのち、ユネスコアジア文化センターで教育交流プログラムを担当し、その後、外務省からバンクーバー総領事館の専門調査員としてカナダに赴任しました。実はトロントから帰国する時、カナダには二度と来ないと思っていたのですが。幸いなことに、バンクーバーはトロントでの生活とは異なり、色々な人と出会ったりする中で楽しく生活することが出来ました。元々は2年で帰国する予定だったのですが、そのまま永住することになり、今に至ります。

専門調査員としての研究課題について教えてください。
外務省から「多文化主義の現状と課題」という研究の委託を受けました。カナダは、英語とフランス語の二言語を公用語とした国なのでそれ以外の言語は「その他の言語」というステータスです。そのため、英語とフランス語のバイリンガル教育はカナダ中で実施されていますが、その他の言語の教育となると州によってかなりばらつきがあります。例えば、バンクーバーは中華系の人口が多いのに、中国語の早期バイリンガルプログラムが最近までありませんでした。一方で、お隣のアルバータ州のエドモントンは、中国語のバイリンガルプログラムが定着しています。中国語以外にもウクライナ語など七言語のバイリンガルプログラムがあり、中国語だけでも13校の公立学校にバイリンガルプログラムがあります。なぜこんなに歴史的にも中華系が多いブリティッシュコロンビア州に中国語のバイリンガルプログラムが発達しなかったのでしょうか。
ブリティッシュコロンビア州は、歴史的に他州よりも早くアジア系が根付いた場所です。多くの中国系移民が貢献したカナダの西部と東部を繋ぐCanadian Pacific Railwayが完成したのが1885年ですが、皮肉なことにその線路を使って多くのヨーロッパ系が東側からBC州についた時にアジア系に対する差別が加速しました。彼らはすでに多くの中華系や日系の人達が根付いて暮らしているのを見て、気に入らなかったのです。1907年には”White Canada Forever”を掲げて中華系や日系のバンクーバー住人に大きな危害を与えたAnti-Asian Riotを起こしました。よくカナダはアメリカよりも差別がなく、人権社会のお手本かのように世界でもてはやされていますが、歴史は必ずしもそうは示しません。例えば、1947年まで、非白人は選挙権もなかったり(日系は1949年)、BC州では白人と同じ学校にも通えなかったり、医者や弁護士などになれないという現実がありました。また、アメリカでは、日系人は戦後すぐに強制収容所から解放され、没収された土地や財産を返却されたのですが、カナダでは日系人は1949年までブリティッシュコロンビア州に戻ることが許されず、元々持っていた土地や財産も政府に全て没収されてしまったという歴史があります。今では考えられないかもしれませんが、カナダ、特にBC州は歴史的に半アジア系差別が非常に根強い土地柄でもあるんです。それが現在もレガシーとして残っているので、アジア系の言語の教育が推奨されていないという現状があります。
そんな中、ついに2008年、早期マンダリンイマージョンプログラムを作ろうという運動が始まり、2011年にバンクーバーで初のマンダリンイマ―ジョンプログラムが誕生しました。しかし、この運動は白人家庭や、カナダで生まれ育った英語を話す中華系家庭が中心になって起こしたものなので、いざ蓋を開けてみると、家庭で中国語を母語とする子どもたちは入学資格の対象外となっていました。彼らは中国語を家庭で話す子ども達と自分達の子どもが比べられるのは不公平だという理由で、英語を母語とする子ども達だけが入学できるように教育委員会に働きかけました。しかし、どんな言語のバックグラウンドでも受け入れているTwo-way bilingual program(双方向型バイリンガル教育)の方法をとっているエドモントンやアメリカでは、高い学習効果が証明されています。実際に、先生だけがネイティブのカナダ型のイマージョンプログラム(いわゆるフレンチイマージョンプログラムがその代表例)よりも、ネイティブの子ども達と混じり合う双方向型バイリンガルプログラムの方が効果があることが研究で示されています。
UBCで博士号を取得
なぜ、研究の結果に逆らってまで、中国語を話す子ども達を排除したプログラムを実施したいとバンクーバーの親達は思ったのでしょうか。このテーマに出会ってからもっと深堀りして研究を続けたいと思い、総領事館での任期を終えた後、UBCで博士号を取得することにしました。具体的には、カナダで育った中国系カナダ人の親と、中国から新しく来た親が子どもの言語教育についてどんな考え方の違いがあるかを研究しました。それでわかったことは、カナダで生まれ育った英語を話す中国系カナダ人の親は、中国語は文化の継承というよりも将来に役立つスキルとして子どもに身につけて欲しいと考えているということです。自分たちは中国語を習得することを犠牲にして、白人に同化するように頑張ってきた自負もあり、アクセントなく英語を話すネイティブスピーカーとしての優越感を持っています。完全にカナダ人である自分達の子どもと、新しくカナダにやってきた移民の子どもが、対等に学校の場で評価されるのが嫌なのです。英語の成績は自分達の子どもの方が優秀だとしても、中国語の成績は移民の子ども達の方が高い成績が付くのですから。彼らは、中国語を話す家庭の子は、一般の英語の小学校で英語を学び、中国語を放課後や週末にヘリテージランゲージスクールで学ぶべきだと言うのです。皮肉なことにそういうことを言う親の多くは、子ども時代、中国語のヘリテージランゲージスクールに通ってとても嫌だった経験をしています。なぜなら他の子どもたちが放課後や週末に遊んでいる時に、自分は中国語の学校に行かないといけないからです。ヘリテージランゲージスクールに通うことが嫌でたまらず、中国語を学ぶことを諦めた結果、英語のモノリンガルに育ち、親になった。それなのに、中国から新しく来加した家庭の子どもたちがマンダリンイマ―ジョンプログラムに入ることは嫌がる。その結果、家庭で中国語を話す子どもは結局ヘリテージランゲージスクールに入って、母語である中国語を学ぶことが嫌になるという悪循環が生まれているということが分かりました。
人種差別ってなかなか終わらないですよね。自分が優位になるために下を作る。自分たちはこんなにカナダ文化に溶け込むためにがんばったのに、最近の移民は全然頑張っていない、自分達と同じ思いをさせないといけない、と思ってしまうんですよね。

子育てをしながらPhD修了
2人の子育てをしながら産休、育休の2年間を含め7年かけてPhDを終えました。とても大変で辞めたいと思ったこともありましたが、他に出産、育児をしながらPhDを学んでいる友人と励まし合いながら頑張りました。と同時に、自分の研究やパッションが一番大切で、子どもを長時間預けることを当たり前と思っている同僚と、子どもとの時間が何よりも大切な自分に大きな違いを感じました。娘たちをバイリンガルに育てたいという理想を持っていましたが、研究を続けるためにデイケアに預けた途端に娘の英語が強くなり、私の理想とは違う子育てとなりました。モヤモヤした気持ちで何とか博士論文を書き、無事に博士号を取得しましたが、その後はすっぱり子育て優先の生活になり、今に至ります。

母語の大切さについて詳しく教えてください。
しっかりした基礎となる言語を育てることが大事です。母語の基礎がしっかりしていれば、次の言葉の発達の基礎にもなり、最終的にはどちらの言語も強くなるという研究結果が出ています。例えば、光合成という言葉の概念を母語できちんと理解していれば、英語でphotosynthesisと習った時にすぐに意味を理解できます。また、母語がしっかりしていることで、「自分は何人なんだろう?」と言うアイデンティティクライシスに陥ることも防げます。ただ、わかっちゃいるけどなかなかできない。「研究と実際の子育ては違うな」ということも自分が子育てをし始めて感じてきました。
自らの子育ての体験について
自分の子どもにはとにかく日本語で話しかけようと決めていたのに、子どもを連れて公園に行ったときに、英語話者の人たちが周囲にいると日本語で話すことに躊躇してしまい、あえてちょっと大きな声で英語で子どもに話しかけてしまっていました。頭でわかっていることと、自分が感情としてやってしまうことは違うのだと自覚しました。オーストラリアに住んでいた幼少時、ちょうど白豪主義が終わったころでした。私たち日本人(特に駐在)は綺麗な恰好をして、他のアジア人とは異なることをアピールしないといけないということを教わっていました。「私たちは東洋人だけど、ちょっと違うんですよ。白人側に近いんですよ。」とアピールするのが骨の髄までしみ込んでいたのだと思います。ブログはこちら

気づきを得て開き直った瞬間
「Black Skin, White Mask」という黒人思想家フランツ・ファノンが書いた本があります。黒人が白人のように振る舞って社会での居場所を築くことを「白い仮面」と言うメタファーを使って論じた本です。この本と出会った時、まさに私自身もそうだ、と感じました。しかし、白い仮面をつけていても意味がないということが分かったのが、コロナ禍でAnti-Asianヘイトクライムが多発したときでした。私自身も外を歩いて日本語で話すのが怖い時期がありました。狙われると怖いので外では子供たちに日本語で話さず英語で話すようにしていました。しかしそんなことをしても意味がないと分かったのが、初の黒人BC州最高裁判事であったSelwyn Romilly氏がイングリッシュベイで誤認逮捕されたときです。どんなに努力をして学問に励み、キャリアを築き、社会的ステイタスを持っても、肌の色だけで一瞬にして逮捕されてしまうのだという現実にハッとし、白い仮面を身につけてきた自分がバカみたいだなと思うようになりました。一人相撲じゃないですけど、人種差別者から見たら私が何をしたって同じだと気づき、なんだか開き直れました。今では大きな声で日本語で話せるようになりました。

気づきを得てから思うこと
アジア系の中にはもの凄く頑張ってカナダ社会に同化して来た人たちと、新しく移民してきて、周りにどう思われようと構わないいわゆる「カナダ社会の不文律を守らない」人達がいますよね。私自身はアジア系のファミリーとして、第3の道、その中道をいくことを模索していくことが大切だなと感じています。
日系カナダ人に向けた雑誌「月刊ふれいざー」で担当している連載では、育児について書くことで少しでも日本人のお母さんたちに、ありのままの私たちでも良いんだということを伝えることで力になれたら良いなと思っています。子どもがカナダでいじめにあったときに親はどう対処したら良いのかなどについても書いています。そして子どもが人種差別やいじめに遭った時、自分の力で立ち向かい、乗り越えられるスキルを育むことが、子育ての目標の一つだと思います。
学校をみても校長や教頭は殆ど白人です。娘たちの学校では、黒人歴史月間であれば深く学ぶのに、アジアヘリテージ月間もあるけれどほとんど何もしなかったそうです。生徒の90%くらいが東アジア系ですが、アジア文化はカナダの文化ではなく常に外のもの、エキゾチックなものと考えられているのだなと感じます。昔のオーストラリアを知っている私からしてみたら、今のカナダはなんて生きやすいのだろうと思いますが、残念ながら本質的には変わっていないと感じます。

現在のお仕事について教えてください。
今は、Hikma Strategiesと言う、学問と社会を繋いで、より良い社会を作ることを目指しているスタートアップ企業でDigital Story Telling Coordinatorをしています。学者たちに向けて、研究の社会的インパクトを増やすために大切なストーリーテリングの技術についてワークショップをしたり、若い学者向けのトレーニングをしたり、学者がグラントを取るためのお手伝いをする会社です。アカデミアって自分たちだけで完結していて、社会との繋がりが希薄なケースが多いんです。せっかく素晴らしい研究しても社会に還元できなければ意味をなさないですよね。自分の研究でも思ったのですが、バイリンガル教育に関するたくさんの研究データが、実際にバイリンガル子育てをしているお母さんたちにどれだけ役に立っているのか、そこにはかなりのギャップがあります。そういった経験を踏まえ、私のミッションは、社会と研究を結びつける橋になることだと思っています。
今後挑戦してみたいことについて
いつか、カナダで生活している日本人向けに、生活のいろいろな場面で必要になる電話の仕方や、学校の先生やスタッフとのコミュニケーションの取り方に関するトレーニングやコーチングをしたいと思っています。「本当は明るくておしゃべりなのに、カナダで生活していると自信がなく無口になってしまう。」なんていうお母さんが一人でも減って欲しいと思います。
東アジア人が欧米の会社で昇進しづらいのは、人種差別もありますが、コミュニケーションの仕方に問題があるという研究が最近出てきました。欧米の会社ではAssertive Communication、はっきりと自分の意図を伝えるということが大事なのです。ただし、アジア人女性がAssertive Communicationをすると、Dragon Ladyと揶揄されたりするケースもあります。黙っていればAsian Dollと言われるし、本当に難しい問題です。
一方で、雇用側やリクルート会社が、面接でどれだけ上手く話せるかを基準にするのではなく、これまでどんな経験を積んできたのかを重視するケースも少しずつですが耳に入るようになりました。アジア系にassertive communicationをトレーニングすると同時に雇用側への教育も同時に行うことが大切だと思います。

カナダに住む日本人の方へメッセージをお願いします。
毎日の生活の中でうまく行かないことがあった時、自分のせいにしないでほしいです。「ありのままの自分でいいんだよ」と伝えたいです。海外で住んでいると色々なことが起こります。でもそれを自分の英語が下手だからとか、カナダのやり方がわからなかったとか、自分を責めないで欲しいです。英語が苦手、カナダ社会にまだ馴染めない、それは当たり前のことです。その中で一生懸命やっているのだから自分は良くやっているとほめて欲しいです。堂々と間違えればいい。そこから学んでいけば良いんです。
先ほど話した、「カナダ文化に同化すること」と、「カナダ社会の不文律を無視すること」の中道を模索することにも繋がってきます。ありのままの私たちが「カナダ社会で堂々と生きていくためのスキルを磨く会」をいつか開催できたら良いなと思っています。
あとがき
幼い子供たちを育てながらPhDを勉強している才女がいると聞いたのは10年前。こうやってめぐり逢い話せるご縁をいただけたことがとても嬉しい。
自身の経験から言語教育を研究するようになり、カナダで国際結婚をし、2児の子供たちの子育てをしているAiさん。海外で子育てをしていると、どのようにバイリンガル、トリリンガルに育つのか非常に関心が高くなるのは必然だ。BC州におけるアジア人の歴史と現状の言語教育に関連性があることを始めて知った。こんなにアジア人の多い州なのに、アジア系の言語教育が追い付いていないのは明らかで、その理由が歴史的背景にあるということはなかなか語られない。どんなに人口比率としてアジア人が多くても私たちアジア人はマイノリティとして扱われる。その社会の中でどのように自分たちが振る舞っていくべきなのか改めて考えさせられた。
子供たちの学校にはいろいろな人種やバックグラウンドを持つ子供たちがいる。子供たちを見ていると、彼らの中にそれを区別する意識はない。そこには人と人の関係が存在するのみだ。人種や民族を区別しない社会を作ることは可能なのだろうか。それをアイデンティティとして受け入れる以上不可能なのだろうか。もしかしたら私たちは互いに区別し、差を見つけることをただ単に楽しんでいるのかもしれない。